読書の秋です。子どもの頃は、読書週間に多くの本を読みました。しかし大人になった今では、腰をすえた読書などめっきりしなくなりました。日々の読書は睡眠導入剤です。活字を追えばすぐさま眠気に襲われて、毎晩どこまで読んだか覚えておらず、昨日も読んだと思いつつ、今日も同じところでまた眠気。これじゃぁ一向に進まない。なんとも情けない読書です。学校で読書の時間があるように、子どもの頃の読書は貴重な体験なのだと思えます。
子どもの頃に出会う本の数や種類は、多ければ多いほど良いのではないかと思います。たとえその時チンプンカンプンだったとしても、こころのどこかにその本の物語の種は残っていると思います。その種が、根をはり、大きく広がっていき、時にはこれから生きていくためのこころの軸となるかも知れません。
私の中で時間をかけて育った種は、手塚治虫さんの『ブッダ』でした。人間が生きるためには他の命あるものを食べなくてはならない。食は本能であり、原初のもの。そしてその食は、いつも自然界とつながっている。自然に対しての感謝や畏れを忘れたらいけない。忘れてしまうと、食べ過ぎたり、食べ残したりして、自然も自然の一部である自分も壊してしまう。時を越えて、それを教えてくれたのがこの本でした。もちろん、子どもの頃の私にこんなことがわかるはずなどありません。大人になって読み返した時、懐かしさと同時に「食べるということは、こういうことだったのか…」と納得しました。子どもの頃にまかれた種は、私のこころの軸となり、どうやら職業として実をつけたようです。
いつ、どんな時に種がまかれるのか、それは誰にもわかりません。いつでも、どんな時でもまかれ続けているのかも知れません。親子で食べものを味わいながら、読んだ本のおもむきを語る。なにげない日常の食卓で交わされる会話から、まかれた種は育っていくように思います。食べものがからだの栄養となるように、本はこころの栄養のひとつです。
土澤 明子 2004年10月