話題の映画「沈まぬ太陽」を観てきました。山崎豊子原作の累計700万部を超えるベストセラーの映画化です。間に休憩を含んだ約3時間半の長丁場でしたが、見飽きることなどありませんでした。そして、私のこころに残ったのは2つの“食べる” シーンでした。(映画については「沈まぬ太陽」の公式サイトをご覧ください。)
1つは、主人公とその息子が牛丼を食べるシーンです。やり場のない思いを抱える主人公が、反発していた息子の職場を訪ね、二人で牛丼を食べに行きます。牛丼のできあがりを待ちながら、主人公は息子に自分の思いを静かに語り、息子はその気持ちを優しく酌みます。堅物で融通の利かない父に覚えた怒りや悲しみなどを乗り越え、成長した息子こそが、よき理解者であり、拠りどころとなっていることがわかります。そして、団欒を象徴する家族が向かい合った食卓とは違って、親子二人が横に並んで食べている姿に、肩を並べて生きる対等な男同士の関係を感じました。
もう1つは、お蕎麦が準備された食卓を囲んで、主人公の父は家族に重要な決断を伝えます。家族それぞれの思いと言葉が食卓に交差しますが、ひとしきり話が済み、落ち着きどころが見えてくる頃、母は食事を促し、皆がお蕎麦をすすり始めます。セリフをきちんと覚えていませんが、母は「さぁ食べましょう」という声かけとともに、娘の膝を優しくたたきます。そのしぐさには「わかってあげましょうよ」という意味が込められているように思えました。そして、娘は言葉にできなかった「わかったよ」というメッセージを、皆と同じものを食べ、この事態をお蕎麦と一緒に飲み込んだ(受け入れた)と表現していると思えました。食べるということは、言葉にならない思いも伝えることができるのでしょう。
家族が成熟していく過程には、多かれ少なかれ、どこの家庭にでも家族間の確執はあるでしょう。食卓は、家族の関係が揺らぐような事柄を議論する場として、またその動揺を吸収するクッションとして機能しています。そして、家族の頑ななこころがとけていく和解の時は、いつもと変らない食卓に訪れるのかも知れません。