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食の探偵団
vol.6 今なぜ食育か  
ケチャップ作り
トマトの湯むき
包丁で皮に切れ目をいれ、熱湯にいれると皮がむけるさまに子供達はびっくり。皆夢中です
玉葱おろし
ケチャップに必要な玉葱をおろしたら、「目が痛いよ〜」と涙ボロボロ。

美味しそうなケチャップが完成

ケチャップ試食
フライドポテトにつけて、市販のもの、他の班が作ったもの、自分の班が作ったもの、の3種類を試食。
全員が「自分の班のが一番おいしい!」と手をあげてくれました。
オリジナルおにぎりを作ろう
オリジナルおにぎりのプランニングのための絵。ピカチューのおにぎりは1年生の女の子のもの。しっかり文章も書き込まれているのがすごい!
自分の考えたレシピどおりに行くかな? 真剣な表情でおにぎりを握ります。
 先日60代の男性から「食育なんて贅沢な時代だからできるんだよね。僕らが子どものころには食べるだけで精一杯だったしね」と言われました。彼に限らず、食育に意味があるのか疑問をもっている人は少なくありません。

 ある年配の料理研究家が「戦争の時代を生きた母たちは、命がけで日々の食卓を整えていたのです」と書いていました。戦争中、まだ小学生だった私の父は、家族の命をつなぐ米を都合してもらうために自転車で何十キロも離れた親戚の家まで一人ででかけたといいます。静岡の疎開先で鰻をさばく手伝いをした経験をもつ母は、やはり当時小学生でした。当時の子どもたちは、そうやって食べるために働く父や母の姿を見、自らも食にありつくためになんらかの努力をせざるをえない中で暮らしていました。でも、私の世代ですでにこうした経験は激減しました。そうした世代が今子育てをしているのです。今の子どもたちは、何かきっかけがなければ食や農について特に考えることなく生きていくことができます。それは幸せなことですが、食べることは体や心を作ることに直接につながってくるのですから、何の意識もせずに目の前にあるものを口にほおりこむだけでいいはずはありません。

 アメリカ、カリフォルニア州ではThe Edible Schoolyard Project(学校菜園プロジェクト)が行政のサポートをうけて1000校以上に広がっています。ある自然食レストランのシェフが、通勤途中に見かける中学校が荒れているのを目にして、学校で生徒たちが自ら野菜を育て収穫したものを料理して味わってみてはどうかと校長に提案しました。これをはじめた学校の生徒たちが次第に落ち着きを取戻したことから、多くの学校が学校菜園を作り、このプロジェクトを採用したといいます。

 キューバでは、経済封鎖を生き抜くために食料の自給自足の実現を推進してきました。農薬も輸入できないので有機農法。学校では農業の実習が重視され、中学校、高校になると1か月、あるいはそれ以上に長期に渡って寮生活が義務づけられて、数学も化学も農業の実践と結び付けた形で学ぶしくみになっているといいます。もちろん学校給食も都心部を除いてはほぼ自給が可能で、調理に使うガスも家畜の糞を発酵させて作ります。すべての子どもたちが、農業の知識と技術をしっかりと身に付けて卒業していくのです。

 手を動かすことで初めて見えてくることはたくさんあります。「食の探偵団」で小学生に「オリジナルおにぎり」を考えてもらった時、まずは絵をかき、作り方もできるかぎり自分で考えて画用紙に書き込んでもらうことにしました。でも実際に作ってみようとするとそう簡単にはいきません。それでも挑戦するうちに、「あ、ここでこういう道具があれば便利だな」とか、「手に水をつければベタベタしないぞ」とか、「焼きおにぎりを引っくり返す時には、フライ返しを右手にもって、左手でフライパンを傾ければもっと楽だ」とか自分たちで気がついていくのです。彼らは、こちらが驚くほど真剣に何度でも繰り返して自分の納得のいくものを作ろうとします。そうするうちにどんどん上手にできるようになるのは言うまでもありません。その過程で、鍋だけでなく蒸気も熱い、包丁をもったら集中しないと危ない、ケチャップを煮詰めていくと熱いトマトがとんでくるから注意…などがわかり、子ども同士で注意しあうようにさえなってきます。親が作ったものを与えられるままに食べている時の子どもたちとは別人のようです。はじめは知らない子同士のテーブルでも、ともに作り、食べるうちにすっかりうちとけています。

 先にあげたThe Edible Schoolyard Project の創始者であり、レストランChez Panisseのオーナーシェフ、Alice Watersは、「自ら野菜を育て料理をすることで、子どもたちはたくさんのことを学ぶことができるはずだ」と話しています。私も「食の探偵団」の実践を通じて、ほんの短い時間のうちに子どもたちが劇的に変身していく様を見るにつけ、そのことを実感しています。自らの手を動かして自分の口に入るものを作ってみること、おにぎりや納豆ご飯を作るだけだっていい、そんな小さなことでも、子どもたちの自信になり、次の行動につながっていくのです。これからの時代、子どもの力を信じて食や農の体験をする機会を作るのが、私たち親のつとめだと私は思っています。学校で、あるいは地域で定期的、継続的に子どもたちが食や農に触れる環境を作ることができたら、子どもたちの心はどれほど豊かになることでしょう。

 だから、「食育なんて必要ない」と言う人たちに私はこう答えたいと思います。「今こういう時代だからこそ、新しい食育が必要なのです。」

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